DROPS

脳内や指の間から、日々こぼれ落ちる何かのメモ。

交差点の真ん中で。



3ヶ月以上間を空けての更新ですが、こんにちは。

お忘れかもしれませんが、さくらです。



今日はいつものような身体の話ではなく、1年半前に父から継いだ小さな居酒屋でのお話です。

 



ときどき飲みに来るお客さんがいました。

近所で働いている感じで、いつも2人組。ちょっと寄ってちょっと飲んで行く人たちでした。2人ともラフな格好なので肉体労働かなと思うんですが、その人はとっても華奢で、たぶん伸ばしっぱなしなだけであろうロン毛はなぜかサラサラで、後ろから見るとパッと見女の人にも見えなくもない。そしてその線の細さに違わず、お通しの野菜は必ず残し、お肉も食べない超偏食家。飲み物はチューハイ。うちの人気メニュー、お豆腐から揚げた手作り厚揚げとその日オススメのお刺身を頼んで、ちょっと私と話をして帰っていく人でした。

通い始めて何回目かに私の結婚指輪を指差して、「結婚したの知らなかった、ズルイ。」って言ってたので、どこか私のことを気に入っていたのかもしれません。(指輪も結婚もずっとしています)

その人が脳出血で倒れたと聞いたのは、お店のそばのコンビニで相方さんとばったり会った時でした。入院してたけど退院したよと聞いたのも、その人からそのコンビニで。次に会った時には、心配してたよって伝えたらすごく喜んでいた、落ち着いたらまた行きたいって言っていた、ということも教えてもらいました。

その人が、この間たった一人でお店に来ました。何も言わずに「手作り厚揚げ」を頼まれて、いやな予感はしましたがそのあとすぐに「実は今日、ご報告があって来ました。」と切り出し来て、やっぱりそうでした。朝出勤してこないので見に行ったところ、お部屋で一人。会社の方が見つけたそうです。

 


いつもと同じように父が作った揚げたての手作り厚揚げをテーブルに運んで、私からはいつものチューハイを1杯。その人の隣りの席に置きました。

 

空っぽのイスと「せっかく退院したのに。」というあまりの呆気なさが、胸の中でうまく飲みこめない夜でした。

 


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またある日。

店を継いでから1年半ほどが経ちましたが、10年くらい前までアルバイトとしてときどき店を手伝っていたことがあり、約8年のブランクを経て店に戻った形になるんですが、長い常連さんとはだいたい再会を果たしていく中、なかなか来ないなーと思っていた人が、この間ふらりとやって来ました。

 


その人はうちの店と目と鼻の先にある会社の人です。

昔はいつもうちの常連である上司の部長さんに連れられて飲みに来ていました。そのころはまだペーペーだったかもしれません。そして彼の部長さんは、うちのお店では殿堂入りというか、名誉常連さんというか、これから先ももうきっと誰も超えることはないだろうというくらい、下手をすれば月曜日から金曜日まで毎晩、うちのお店にたくさんの人を連れて来てくれ、たくさんのお酒を飲み、父の作った料理をたくさん食べて笑顔でおいしいと言ってくれ、わたしや妹にたくさんかわいいねかわいいねを言ってくれたおじさんです。たくさんの人に惜しまれつつ、6~7年前にガンで亡くなりました。

おじさんが人望とか人徳とかいうものの塊りだったのでは、と改めて思い知らされたのは去年のこと。店の近所にある勤めていた会社の人ではなく、電車で1時間以上かかるおじさんの地元のご友人が「生前、会社のそばにお気に入りの店があるんだと話していたのでどうしても来てみたくて。」といって飲みに来てくださいました。(町内会で一緒に旅行した時の写真というのを見せてくれ、おじさんがあまりにいい顔で笑っていて、初対面のお客さんと一緒にウルウルしてしまいました。)

またある日は、部下の皆さんが命日に「部長を偲ぶ会」だと言って飲みに来てくれ、わたしはおじさんのおかげで部下の皆さんに再会することが出来ました。

が、その後はあの頃のようにどころか、あれからもう一度も店に来てくれていません。

皆さん忙しいのか、うちのお店がダメになってしまったのか、それとも妹から代わったわたしがダメなのか。ときどきそんなことを思うこともありました。


ただ、それはさておき、その偲ぶ会にはアイツが来ていませんでした。

アイツというのはおじさんの部下です。お店に来ると「いらっしゃいませ」でまず握手。「とりあえず生ビール!」でまた握手。「おかわり!」あたりからはニギニギで、「ありがとうございました!」ではニギニギニギニギとわたしの手を握りながら「さくちゃん、結婚してー。結婚結婚結婚ー。」と言うアイツのことです。

それを見るたび大きく笑って小さく舌を出しながら、声は出さずに口だけでゴメンネを言ってくれていたおじさんのフォローもあって、憎めないところもあるアイツのことを嫌いになったことはないんですが、とにかくニギニギ攻撃がいつもひどくて、実はつい先日コンビニへ行くとき(コンビニ行ってばかりですみません)に遠目に見かけたとき、走っていってまで声をかけようと思えず、どうしよう・・・と思っているうちに姿が見えなくなってしまったことがありました。


そのアイツがとうとうお店に来たのです。

何年かぶりの再会にうれしくなって思わず笑顔になりましたが、さっそく両手を出してニギニギしに来たので、「全然変わんないな!」とカミナリ風のツッコミでお迎えしました。

「わたしが戻った噂は聞いてたでしょうに遅かったのでは?」

なんて嫌味を言ってみたり、3年くらい前まで地方勤務をしていたんだとかよくわからないことをモゴモゴと言い訳されたりしながら、わたしはアイツに何杯かのお酒を注ぎ、アイツはそのお酒をそのたび飲み干し、久しぶりでちょっとギクシャクしていた間合いがスッと落ち着き始めた頃。板場の手が空いた父がやって来ました。

 

するとアイツはすっくと立ち上がって、


「大将、お久しぶりです。

 ごぶさたしてすみません。」


そう挨拶したと思ったら、突然泣き崩れてしまいました。


「ずっと行かなきゃ行かなきゃって思ってたんですが、
 やっぱりここに来るとダメなんです。

 部長のこと、思い出しちゃって・・・。」


思ってもみなかったセリフでした。

偲ぶ会をやってくれた他の部下の皆さんも、思えば少し重たい顔をしてお酒を飲んでいました。でもそれは偲ぶ会だから。おじさんのことを思い出しているからだとも理解していましたが、うちの店がその悲しい気持ちを増幅させていたこと。椅子もテーブルも壁も天井も、お酒も料理も変わっていないうちの店がつらかったからだったんだと、気づいてしまいました。


「すみません、しんみりしちゃって。」

涙をぬぐったアイツはそう言ってまた席に座りお酒を飲み始めましたが、わたしは心の中できょろきょろしていました。だって、店のどこかでおじさんがこちらを見ながら、


” さくちゃんー、ねぇアイツ泣いてるよ?俺のために泣いてるよ?! ”

と、小さく舌を出しながら満面の笑顔で言っているような気がして。



うちのお店に来る人は生きている人。

 

来なくなった人。

 

死んだ人。

死んでゆく人。

 

来なくなったけど生きている人。

また来てくれる人。


わたしにとっては、自分の店が生とか死とか、人と人とか、その人が抱えた何かとか。そういう何かが幾重かに重なっている、交差点のようなものに見えた初めての瞬間でした。


今夜もその交差点のど真ん中で、いろんな人に出会いますよ。
 

どんと来い、GW 10連休前金曜日。

 

 

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さて今日の写真は、うちのお店のUSENの機械。

抗がん剤治療をしつつ板場に立つ73歳の父と、閉店後の後片づけのひととき。

いつも父の好きなビートルズチャンネルをかけていましたが、1番違いのエルビスプレスリーをかけたところ、ハワイアンっぽいリズムが疲れた身体に心地よく、最近はわたしのお気に入りとして選局しています。

 

でも、これはこれでやっぱり父の青春時代の曲なのだそうで、

 

「最初はみんなプレスリーだったんだよ。

 でも、ビートルズが出て来てみんなビートルズになっちゃった。」

 

なんて教えてもらったり。

 

 

そんな父が昨日、

「お前とプレスリーを聴いてるって、なんか変な感覚だよ。」

と言いました。

父はそれ以上何も言いませんでしたが、それはたぶん、自分があの頃にタイムスリップしたみたいな気持ちになっているのに、なぜ目の前にこんなに大きくなった娘がいるんだろう?だいたい娘なのに、おれより年上じゃないか???

 


ということなのでしょう。


バックトゥザフューチャーにそんなシーンがあった気がするんですけど、違いましたっけ?

 



もし合っていて、それがバックトゥザ何番だったかご存知の方がいたら、ぜひ教えてください。

 

目標を立てるセンス。

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やたらと遅ればせですが、


新年明けましておめでとうございます。


新成人のみなさんもおめでとうございます。


稀勢の里関は本当にお疲れさまでした。
来場所からの親方ジャンパー姿を楽しみに、これからも応援しています。


さて、年末に石油王氏のadvent calendarに参加するために確保したこの場所ですが、なんとなく続けていけそうな気がしています。これまで身体とか健康の話ばかり書いていますが、この先は雑多な内容をDROPしていく予定です。本年もどうぞよろしくお願いします。


身体が柔らかくなりたい、という目標。


さて新年です。

新年といえば、目標です。
目標は立てましたか?



とかなんとか、さりげなく本題へ突入してみましたが、ヨガを教えているとよく言われる、


「身体が硬いので柔らかくなりたいんですー。」


という目標。


本当にヨガを始める方の大半がこうおっしゃるんですが、これについては「大丈夫です、私も最初はめちゃめちゃ硬かったんですよ。うふふ。」といった感じで笑顔で応え、あとはいつも通りのレッスンをしていました。


なぜなら身体は「初めて」の今が一番硬い状態だし、続けてもらえればこれ以上硬くなるわけもなく、柔らかくならない人はゼロ。いないからです。なのでかつての私もそうだったように、ヨガを始める誰しもが立てるこの目標については、インストラクターの私からすれば全くの勝ち戦。私のレッスンは必ずその目標を達成させてあげられるのです。


だから「大丈夫ですよ、うふふ。」などと簡単に答えるだけでいいと考えていた(今から思えば)のです。

目標を立てるセンス。


そんな私のレッスンに、やはり「ヨガは初めて」だという女性がやって来ました。


レッスン前に始めようと思ったきっかけを聞いてみると、その人は真っすぐに私の目を見て「ハトのポーズが出来るようになりたいんです。」と、高らかに目標を宣言しました。


さらに驚く私に畳みかけるように、「HPのトップ画像がハトのポーズだったので、先生を選びました。」とも言いました。



もうね、もう・・・衝撃でした。


asajikan.jp



ハトのポーズは、インストラクターのプロフィール画像やヨガDVD・教本などの表紙に一番多いポーズで、私も3年目くらいにやっと出来るようになったような記憶があるくらい、かなり難易度の高いポーズです。でもそれは決して、


「初心者なのにそんな目標を立てるなんて!」
(なんて無茶な!)


という意味で驚いたわけじゃないんです。



今まで「〇〇のポーズが出来るようになりたい!」と言われるどころか、例えば「立って前屈して、手の平が全部床につけられるようになりたい。」といった、具体的な形がある目標を言う人すらいなかったこと、それから、それに今まで気づかなかった自分に驚いてしまったのです。

エリアではなく点を目指す目標。


大半の方が言う「身体が柔らかくなりたい。」という目標には、どうなったら身体が柔らかいと言えるのか=目標到達地点がありませんでした。硬いと柔らかいの境界線もなく、ただぼんやりとした結構広めの目標到達エリアがあるだけです。


具体的な目標達成地点がないので達成までどの道を進んでいけばいいのかもあやふや。私=インストラクターと生徒さんで共有出来るだけの客観性もないので、道案内もぼんやりと「まぁ間違ってはないだろう。」という方向に進むのみ。カーナビの ” 目的地周辺です。” じゃないですが、そのへんで「なんとなく達成」とする感じなので、達成した喜びもさせた喜びも半減していた気がしますし、一緒に新しい次の目標を立てることもほとんどありませんでした。


私はその女性の目標を立てるセンスに脱帽し、達成のためにそのポーズをしている先生のレッスンを選ぶという、ちょっと短絡的でおかしいけれどでも真っすぐな道を選んだ姿に目からウロコが音を立ててボロボロと落ちいくような気がしました。目標を立てるセンスってあるんだなーと思ったし、そのセンスがあると人生楽しいだろうなーとも感じました。

その後とまとめ。


その後のレッスンでは、数ヶ月での目標達成は困難→目標を「ハトのポーズが出来るようになった自分を疑似体験する」に切替え→上半身と下半身を分けて練習→可能な範囲で合わせていくこと完成形に近い形でハトのポーズを体感して、あとは何が必要なのかを自分の身体で感じてもらうようにしてみました。


しばらくして理由はわからないままレッスンには来なくなってしまいましたが、とてもいい経験をさせてもらえたことを今も感謝していて、それを伝えられなかったことを後悔してるし、今でもどこかでヨガをしてハトのポーズをかっこよくキメてくれてたらいいなと思っています。



そして私はといえば頭では理解したものの、相変わらず彼女ほどのセンスがなく、忙しくて時間がないと言い訳をしながら未だまともな今年の目標が立てられずにいます。


「体重-2㎏か体脂肪率-3%」を目標にしようと、意気揚々とお正月に体重計を買い替えたんですが、こともあろうに体脂肪率が今までより+5%で計測され、すでにやる気はゼロ。(古いものと新しいものでは計算式が大きく違うようです・・・)


お正月太りしたこともあって、今も全く立ち直ることが出来ずに1月も半分過ぎてしまいましたが、ひとまず新木場1stリングでのプロレス観戦と、神田松之丞さんの講談を観に行くことを目標にしていきたいと思っています。

父の足。

【最近父が仕事前に飲んでいるミックスドリンクの中身】



私には73歳になる父がいます。

父は居酒屋店主。社長職こそ去年私に譲りましたが、今も板場を一人で切り盛りし、朝は仕入れ、午後は仕込み、夕方からは店の厨房で料理を作ります。


そして父はガン患者です。4年前に大腸がんが見つかり(切除)、次に肺がん(切除)、現在は肝臓がんがあり抗がん剤治療中(2年目)なのですが、この治療が始まってからずっと、

「足の裏が痺れて感覚がないから、うまく歩けない。」

「毎朝足がつって目が覚めてしまう。」

という悩みを抱えていました。



抗がん剤の副作用だと言う父に、

・マッサージ

・足を高くして寝る

・年寄りは脱水しがちだし水分を多めに摂取


などとアドバイスをしてみるものの、「お前は副作用のつらさを全然わかってない!!」と半ばキレ気味に言われるだけ。ずっと取り合ってもらえずにいましたが、去年から父の店で毎日一緒に働くようになったのをきっかけに、閉店後に私が足のマッサージをしてあげることにしました。


・・・とはいえ、閉店後といえばお互いお疲れで、早く帰りたい父に要らないと言われたり、私がすっかり忘れてしまったり、はたまた元社長の父親と現社長(ひよっこ)の娘が一筋縄で仲良く働けるわけもなく、お互いの関係が悪化してからは何ヶ月もマッサージ無しの時期を過ごしたりしていました。

発想の転換


ひとつ転機になったのは発想の転換、実施時間の変更でした。

お互い疲れ切ってしまう閉店後ではなく、その日店に着いてすぐ。仕込みを始める前に「5分だけ!」と宣言してマッサージをするようにしました。これで実施回数は激変。ほぼ全日実施になりました。


気づきを重ねる


全日実施出来るようになると、父の足に問題を見つけました。


kotobank.jp


” 薬の副作用ではなくて、この浮指のせいでうまく歩けないのでは?”

” そういえば、抗がん剤が何度変わっても足裏の痺れは治らないままだし、原因は他にあると考えるのが妥当なのでは?”


そう思って伝えても、まぁまた「お前は副作用のつらさをわかってない!」と恐い顔をされるだけなんですが、とにかくこの浮指改善のためのマッサージを日々続けていました。


あまり大きな改善は見られないまま、マッサージの5分間で父には「浮指は足裏の設地面積が減るせいで足が疲れやすくなる。」なんて話を何度も言い聞かせていたのですが、そこに次の気づきがやって来ました。


父の足の土踏まずが異常に高いのです。
いわゆる、ハイアーチでした。



ハイアーチ(凹足)について:くつめも




偏平足と比べると害が少ない、むしろいいことといったイメージでいたのですが、よくよく調べてみるとハイアーチも身体にたくさんの問題を生むことが判明しました。


何より「浮指+ハイアーチ」で、父の足は「足指下と土踏まずの脇の細長い部分+踵」というなんとも心もとない小さな接地面でかろうじて地面をとらえていただけだとわかりました。


それに、指で父の土踏まずを押すと、浮いていた足の指がほんの少しだけど沈む(地面をとらえようとする)ことも。


全てが繋がっていく瞬間


父のハイアーチに気づいて数日後、自分のレッスンで参加者さん全員約10人分の足の裏をこっそりとチェックして確信を得た後、amazonで中敷きを注文しました。




届いてすぐに装着してみたものの、まだ土踏まずにしっかりと当たらないと言うので、さらに100均で買って来た土踏まず用低反発ジェルクッションを投入したのが先々週。最初は嫌がられながら始まったマッサージでしたが、仲違いで無実施の数ヶ月も超えて、長い長い1年でした。


好転反応


たくさんの気づきを越えてやっとたどり着いた、父専用ハイアーチ改善中敷きの装着翌日。会うなり父はむずかしい顔で、


「これはダメだよ、今朝は両方の足がいっぺんにつったんだ。すぐ外したい。」


こんな風に言って来ました。


正直私も驚きました、もちろんがっかりもしましたし。でもそうするしかないかとも。



ただ、一呼吸おいてひとつ質問してみました。


「それは大変だから無理する必要ないけど、でも何か・・・。例えばつる場所が変わったとか変化はない?」


「・・・ある。いつもはここ(膝下横外)がつるけど、今朝は両足ふくらはぎだった。」




(イエス!!!)


足裏全体で普通に歩くことが出来れば、疲れるのはそこ、ふくらはぎです。


インソールが父の歩き方を改善したとわかった瞬間でした。



好転反応 - Wikipedia



「ふくらはぎが激しくつったのは好転反応だと思う。」と説明して、父納得の上中敷きはそのままにしてもらい、ようやく今日で10日ほどが経ったところです。


思考を止めるな。


ふくらはぎがつる好転反応は、まだ続いています。でも足の裏の痺れは少しずつ薄くなっていて改善が見られるんだそうです。足裏全体を使って歩けるようになったので、日々の一歩一歩がマッサージになり、血行が改善しているのではないかと思います。



仕込み前のマッサージは今も続けています。たった5分ですが、その日の確認事項や雑談、コミュニケーションタイムも兼ねて。

特に雑談では自分のレッスンでしているような身体の話をする時間を重ねて、父の考え方も少しずつ変わって来たようです。



「何を食べようが、運動しようがしまいが、タバコや酒をやめようが、別に何も変わらないよ。」


これは私も医者でもなければ研究者でもないのできちんと否定は出来ないけれど、ただここからハッキリわかるのは、こういうことを言う人は自分の身体の変化に気づかない・気づけない人だし、それはつまり気づきたくない人だと思う。


と、マッサージ中にこんな話をしても前のように怒られるようなこともなく、


「なるほどなー。」


みたいな【顔】をして笑って聞いてくれるようになりました。




「思考を止めるな。」は今年流行った映画のタイトルを真似たわけではなく、私が好きなおすもうさんが言っていた言葉ですが、今回のエントリーではマッサージの実施時間の変更・浮指・ハイアーチ・好転反応の気づきによって、思考が止まることなく今日ここまでたどり着いたという考えをDROPしてみました。



そして、


「いつまでヨガのレッスンなんてのを続けるつもりなんだ。(=店に集中しろ)」


と言っていた父が、やっと私のことをヨガの先生として認めてくれたような気がしていますし、なにより関係がよくなったことがこの1年で一番大きな変化でした。



今年もあと3営業日。

居酒屋がんばります。

人生は筋肉。

この記事は人生 Advent Calendar 2018 - Adventar によせた記事です。

はじめに


はじめまして、さくら(@sakura3900)と申します。


今日はここで「人生」について語る上で知っておいていただきたい私のプロフィールは以下の2つです。


▶「私」はこれまで運動や筋肉とは全く無縁の人生を送っていましたが、自転車に乗り始めたらヨガを始めて、ヨガを始めたらインストラクターになっていたということ。


▶自転車に乗り始めたきっかけは、ヘルニアを発症して運良く下肢麻痺→歩行不能を免れた飼い犬(Mダックス ♂現在15歳)だったということ。





簡単に時系列で説明すると、


→二度と散歩出来ない?!もう一度歩いてお願いー。

→歩いた!散歩しよう!もっときれいで大きな公園行こうー

→遠いから自転車で行くよ、君は前カゴに乗ってね。

→犬も喜ぶし自転車楽しいな。(犬と最高走行距離87㎞)

→自転車、脚ばっかり使うから全身運動のヨガしたい。

→ヨガ楽しい!

→インストラクター(今ココ)


こんな感じです。


この記事では、そんな経験の中から得た「人生は筋肉。」であるということについて書いてみたいと思います。


筋肉に気づこう。


立つ・座るなどの意識的な動作だけでなく、呼吸や心拍など無意識な活動にも筋肉は関わっています。

目が乾かないようにまばたきをしたり、のどが渇けばお茶に手を伸ばしてそれを飲み、しばらくしてトイレで用を足す時にも、それを我慢しなくちゃならない時にも、全て筋肉を使います。普段の生活ではあまり意識することはないかもしれませんが、とにかく想像以上にありとあらゆる身体活動に役立っているのです。




「運動しない生活なら、筋肉なんて必要ない。」


以前は私も、こんなイメージを持っていました。


いえ、そんなイメージを持っていることにさえ気づかないほど筋肉を軽視していましたし、なんなら筋肉の存在など眼中にありませんでした。



でも今は違います。


「人生は筋肉。」なんです。

人生は筋肉の上に成り立っているのです。


まさに、NO筋肉 NO LIFE。




よく、


「人間、食欲がなくなったら死ぬ。」


などと言われることがありますが、ではなぜ食欲はなくなったと思いますか?


筋肉に気づく前の私は「運動量も減り、もう成長することもないのだから、食事=エネルギーも必要ない。つまり食欲も必要ないということだろう。」と考えていました。これもあながち間違いではないのでしょうが、もっと重大なことを見落としていたのです。


それは、


食べ物を噛むため、飲み込むため=咀嚼するための筋力、


が衰えたということです。


若い私たちにもよくあることで置き換えてみると、


普段からよく歩いている人なら自宅から徒歩で20分かかる評判の居酒屋まで歩いて飲みに行こうという人もいるでしょう。ですが、そうでない人には甚だ面倒なのではないでしょうか。もっと近くの居酒屋 or 自宅で飲もうとするでしょう。さらに自宅にビールがないことに気づいて、もうどうでもよくなってその日の飲酒自体をやめるかもしれません。


そう、おっくうなのです。
筋力が衰えると何もかもが。


居酒屋まで歩くことが。

立ち上がってビールを買いに行くことが。



何かを食べて飲み込むことが。

そして生きることが。


だから食欲がなくなったとき、人間は死ぬのです。

人間は生き死にすら、筋肉の上に成り立っています。


つまり、「人生は筋肉。」なのです。



もう一度言います。

NO筋肉 NO LIFE、なのです。

悪循環から好循環へ、そして貯筋へ。


筋肉が縮小すると、動くのがおっくうになります。


また、動くのがおっくうになると、動かないからますます筋肉は縮小します。


文字にしてみれば至極簡単なカラクリにあるこの悪循環。これに陥っている人はとても多いです。でも、それに気づいている人はほとんどいません。


ここで気がついて行動を起こせた人は「筋肉が増える→活動量が増える」をループする好循環に入れます。


特に悪循環から好循環に移ってすぐ、倍速で訪れる筋力の変化は人をやる気にします。


私のヨガのクラスでも、頑張っている人の「頑張り始めてから3〜6ヶ月目あたりの上達スピード」は何度見ても羨ましいです。あんなの、楽しくて仕方ないだろうと思います。



そしてそこからは、貯金ならぬ、「貯筋生活」へ移行するのがいいでしょう。


筋肉の借金生活から抜け出して残高をどんどん増やしていくのです。


そう、筋肉は貯筋出来るのです。


夏の貯筋があれば冬の基礎代謝が落ちる時期をやり過ごせるし、若い頃の貯筋がまだ残っていれば年をとっても元気に動けます。借金生活に陥らないだけの貯筋を心がけることで、また悪循環ルートに戻らずに済むようになります。





ちなみに、ヘルニアで歩けなくなりかけたうちの犬ですが。


「また再発するかもしれないし、後悔したくない。」と考えた飼い主が猛然と散歩に連れ回し始め、自転車の前カゴに乗せられて河川敷を30㎞遡上して30㎞戻って来るといったユラユラ運動(写真参照)がそのままコア(体幹)トレーニングになったらしく、再発は何度かしたもののその間隔はどんどん長くなり、やがては再発しなくなりました。15歳(人間でいうと70歳以上)になった今も、よく歩きよく走り、老犬ながらまだソファに飛び乗ることも出来ます。最近自転車に乗る機会は減りましたが、貯筋を生かして今日も元気に生きています。

身体は心と繋がっている。


「健全な身体に健全な精神が宿る。」という言葉の横柄さは理解しています。精神とは押したり叩いたり潰したり出来るものですし、何をもって健全とするのかも曖昧です。


ここで私が言う心とは、精神とかいうものではなく、感情と考えていただければ一番近いです。


楽しい、うれしい、悲しい、腹が立つとか、とっさに頭に浮かぶイメージのようなもの。


こういったとっさの感情は、全てではないですが身体と繋がっていることが結構たくさんあります。


一番わかりやすいのは、先述の「おっくうだ、面倒だ」という感情でしょう。


疲れていると、楽しめることも楽しめません。疲れている時に何か頼まれごとをして、親や恋人、配偶者とケンカをしたといった経験はきっと誰にもあることだと思います。疲れていると、良い感情が浮かびづらくなります。


身体は感情を左右します。

そして感情はあなたの行動を左右します。

行動の積み重ねが人生なら、よりよい人生には「疲れない身体」です。


そして、疲れない身体には「筋肉」が必要なのです。

最後に


オススメは同世代平均より2~3割増以上のマッチョです。


みんなより身体が若いと、心が若いです。

心が若いと行動も若いです。


若い若いと言われて、また若くなります。




まあ、遊べる同世代の友だちは減るのですが。





今日もお昼からぼっちトレーニング頑張ります。


ご静聴ありがとうございました。

アルビノ化の理由。

ここ2ヶ月くらいの間、急に私の頭の毛にアルビノが増えました。

 

 

メラニン色素を失った毛のことです。

(オシテシッテクダサイ)

 

 

もちろん、もともとすでにありましたけど、染めるほどじゃありませんでした。

 

 

でもここ2ヶ月。

 

それはもうスピード感溢れるマッハな展開で、私の頭の上にアルビノ化した毛が増え始めたのです。

 

先週行った美容院で担当さんからも「そろそろかなー。」なんて言われたほどです。

 

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話変わって。

 

先日、最近始めたパーソナルトレーニングのトレーナーちゃん(20歳ほやほや女子)から、

 

「さくらさんが飲んでるBCAAは、プロテインじゃなくてアミノ酸なんですよ。」

 

という知見をちょうだいしまして、トレーニングが終わって家に帰ってから、プロテインやらアミノ酸やらについて、いろいろなサイトを巡っては調べていました。

 

するとそこになんと、

 

プロテインで白髪が予防出来る」

 

の文字が躍っているではありませんか。

 

…こういうことはまずは半分疑ってかかってみるのがいいとはいえ、なんというタイムリーなヒットなんだろうと食いついてしまいました。

 

・髪はタンパク質で出来ている。

 

・白髪の原因のひとつに、髪の栄養=タンパク質不足がある。

 

 

だとすれば、私のアルビノ毛が加速度的に増え始めたこの2ヶ月には、ひとつ大きく思い当たる節があるのです。

 

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今に始まったことではないけれど、うちの夫氏(9歳年下)は痛風持ちで、ちょうど2ヶ月ほど前にまたひどい発作を起こしました。

 

すぐに痛み止めをもらうために病院へ行き、尿酸値を調べるために血液検査を受けたのですが、

 

 

「尿酸値は平気。それより血圧(150オーバー)と悪玉コレステロール値がのほうがひどい。」

 

という結果が出まして。

 

 

その日から、夫氏は一念発起して大幅に食生活を見直し。

 

もちろん料理担当のわたしも精一杯の協力体制を整え、減塩とダイエットメニューを作りました。

  

毎朝お弁当にワカメと鶏むね肉のサラダ(ドレッシング無し)を持たせてあとはプロテインバー、夕ごはんもかなり控えめにして、夫氏は2ヶ月で18kgのダイエットに成功。

 

 

そして気づけば、なぜか私も3kg体重が減っていたのです。

 

そしてそして、この2ヶ月でアルビノ毛がマッハで増えていたのです。

 

 

わたしはプロテインバーを食べていませんでした。

 

栄養不足、心当たりアリアリです。

 

プロテイン、買います。

 

DROPS。

忙殺の日々に脳内や指の間から何かがこぼれ落ちる。



今日も、夜になればテーブルの上に置いたTODOメモを見ると1つ2つと何かがこぼれ落ちていて、


そんな現実から逃避したくて、ZOZOTOWNのお気に入りリストを見ながら、そのかわいいスカートを履いておしゃれカフェに出掛けたり、はたまた素敵スニーカーでサイクリングロードを疾走する自分の姿を脳内妄想をしてみたり。


・・・結局、こういう時間がまた明日のTODOリストにチェック漏れを作るんだ。